Into The FUTURE

未来はすべて次なる世代のためにある

ようやく始まるワクチン接種 その期待と心配

 

 米国が集団免疫を獲得するのは夏の終わり以降となりそうだという。ワクチンが早くから始まったが足元のワクチン不足の影響だという。

 ブルームバーグによれば、米国でのこれまでのワクチン接種は計4050万回。昨年12月に2種類のワクチンが利用可能になったものの、物流の遅れやワクチン不足で人口のごくわずかしか接種を受けていないという。

 また、イエレン米財務長官が、「労働市場は失速しつつあるようだ」と述べたとブルームバーグが伝える。

長官は低賃金労働者とマイノリティー、女性が最も厳しい状況に置かれているとし、景気減速が長期化すれば「恒久的」なダメージを被りかねないと指摘。「労働市場は深い穴に沈んでおり、抜け出すのはまだずっと先だ」と語った。 (出所:ブルームバーグ

www.bloomberg.co.jp

 ブルームバーグによれば、十分な規模の積極的な追加経済対策パッケージが実行されれば、米国は2022年に完全雇用に復帰し得るとの認識を示したそうだ。

 なかなか厳しい現実がそこにある。

 

 「コロナ禍で「1日1食」、増える困窮者 備蓄米開放も不十分」とロイターが報じる。

 それによれば、コロナ禍の長期化で収入が減り、その日の食事にも困る人が増えているという。支援団体が無償提供する食事の利用者はこの1年で倍増、政府が備蓄米の開放を始めているという。しかし、そこには問題も多いという。

昨年初めにコロナの感染が拡大し始めてから、この1年で日本社会は様変わりした。コンサートやスポーツ競技など大型イベントは次々と中止に追い込まれ、飲食業や観光業は利用客が激減。帝国データバンクによると、コロナに関連した倒産は1年間で1000件に達した。生活困窮者は以前から増えつつあったものの、コロナ禍で職を失ったり収入が減り、その日の食事にさえ困る家庭や人々が急増した。 (出所:ロイター) 

jp.reuters.com

「昨年夏ごろまでは政府の特別定額給付金の効果もあったようだが、その後に生活資金が底をついた人たちが増えたと思われる」と話すセカンドハーベスト・ジャパンの芝田雄司氏の声をロイターは紹介する。非正規就業者やひとり親世帯などに加えて、正社員も残業代がなくなり、4人家族で生活するために食費だけでも節約したいといった事情の人がセカンドハーベスト・ジャパンの無償の食事提供に訪れているという。

 日本最大のフードバンク「セカンドハーベスト・ジャパン」は、複数の大学で食事の無償提供を始めているという。アルバイトができなくなり、生活ぎりぎりとなる大学生たちがいることが理由のようだ。

 

 

 厳しく、悲しいコロナの現実がそこにある。 

「この国の福祉制度は全ての国民をカバーしていると言う。制度的にはそうかもしれないが、実際にはそうはなっていない」とセカンドハーベスト・ジャパンのマクジルトンCEOは指摘しているとロイターはいう。 

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 来週からワクチン接種が始まるという。集団免疫を獲得するまでにはどのくらいの時間がかかるのだろうか。その間に経済が疲弊しないか、少しばかり心配にもなる。手厚いセーフティーネットの再構築と、単なる観光や飲食の需要喚起にならない経済対策が必要になっているのだろう。

 結局、みなが希望を持ち、もっと積極的な心構えになれれば、この困難を乗り越えていけるのかもしれない。しかし、現実には混乱、不安を煽るような行為が横行し、人々がなかなか希望をもつことができていない。

 そろそろ場当たり的な行動制限ばかりでなく、感染症に対する安全・安心を確立していくべきなのだろう。そうしなければ、苦境を乗り越えることができそうにもない。医療提供体制の安心、飲食、移動に対する安心・安全、セーフティーネット、安心・安全を早急に企業、国民との間で作り出していく、そうした強い姿勢を行動をもって示していかないと何も変化が変わらないような気がする。

 

 

 長き渡るに政治的愚行、もっと言えば政治を私物化した愚行が政治不信を醸し出した。しかし、一方で国を憂い、この国難を乗り越えていくためには、心のどこかで政治的なリーダーシップに期待しているのだろう。そして、それが心根とは逆についつい批判として現れる。

 政治家には自らの政治信条もあろう、しかし、国民のそうした隠れた期待に応えていくという姿勢が伝わらなければ、いつまでも何にも変化は起きない。そればかり、さらに不信がさらに募り事態は悪化していく。そうしたことが政治家である自分の「恥」であることに気づいてもらわなければならない。

  コロナを克服するということが大義名分、大きな目的であることを伝え理解してもらうためには、批判されることは覚悟の上で、愚直に繰り返し、繰り返し、行動していくしかないのだろう。

 求められているのはみなが理解できる「善行」なのかもしれない。その中には対話も含まれている。

 本人が気づかずにいる些細な信条が混乱を引き起こす。それを改める勇気があれば、国民の期待に応えることができるということであろう。もし、それができないのであれば、もう退場いただくしかない。そろそろ限界が近づいているような気がする。