デジタル&グリーンに注目が集まっているのだろうか。国がデジタル庁を創設し、デジタル化を本腰を入れて推進するといえば、そうなるのだろう。
日本のデジタル化は、先行く国々と比べ3周遅れなどとの話をもう何年前から聞かされていた。それを明示するように、経済産業省が昨年末に開示したDXデジタルトランスフォーメーションに関する調査では、95%以上の企業が一部の実施か全く実施していないという結果になったという。ただ驚くしかない。
5年前のこと、セールスフォースのSaaSを導入して、社内コミュニケーションの効率化を図ろうとしたが、抵抗勢力が現れた。チャットより電子メールで十分での意見が多数を占めた。何か変化を起こそうとすると必ず抵抗する輩が現れる。
その当時、一部企業とはまだFAXで受発注のやりとりをしていたことを思い出す。先方の求めに応じて対応していたが、それが未だに続いていると聞くと、5年もの間進歩していないことにも腰が抜けそうに驚く。
DXデジタルトランスフォーメーションとは
経済産業省は、「変化に迅速に適応し続けること、その中ではITシステムのみならず企業文化(固定観念)を変革することがDXの本質であり、企業の目指すべき方向性」と説明する。堅苦しさがあって、理解し難さを感じる。DX対応できていない企業にとっては、ハードルがますます高くなったりしないだろうか。
DXの定義:「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」
ユニクロ
「デジタルで全てが解決されると思われがちだが、デジタルだけでは難しい。
リアルの情報を人工知能(AI)で分析し、リアルとデジタルの情報を自分で比較して製品をつくらないといけない。良しあしや本当に重要な情報を判断する編集能力が求められる」と話すのはファーストリテイリングの柳井社長、日経MJとのインタビューでそう語る。
「米ウォルマートは、デジタルとリアルの境界線をなくすことで復活した。
リアルもデジタルも同じだと気づいたのだろう。
消費者にとってリアルもバーチャルも関係ない。両方を利用できることが一番良い」 (出所:日本経済新聞)
あまり敷居を高くしないで、まずは始めてみるのがいいのかもしれない。あまり大上段に構え過ぎず、定常業務の改善、効率化から着想してもよさそうな気がする。
ユニクロ 「無縫製3Dニット」
Business Insiderがユニクロの「無縫製3Dニット」を紹介する。
「将来的にはお客さまの注文に応じて一つずつ商品を作れるようになる。極論すれば、工場から個々の人々に商品を送ることができる」と柳井社長は話をしているそうだ。
従来のものづくりではできないこともデジタル化が進めば、可能になることもありそうだ。
ホールガーメントとは、1本の糸から全自動で丸ごとニットを立体的に編み上げられるもので、通常のニットでは30%程度出る糸のロスが出ず、縫い合わせ(リンキング)も不必要なため、省力化とサステナビリティを兼ね合わせた技術・製法だ。
IoT(モノのインターネット化)が進み、需要に合わせてサイズ違いや色違い、素材違いの製品を連続生産できるため、“オンデマンドの量産システム”“マスカスタマイゼーション(個別大量生産)”ができる点もポイントだ。
さらに、クラウド化によりネットワーク上で企画・デザイン・生産・生産管理を行えるようにしたり、糸のセットまで全自動化するなど進化している。 (出所:Business Insider)
いきなりユニクロの真似はできないまでも、ヒントが隠れているのではなかろうか。
こうした事例からすれば、デジタルで、「グリーン」も「サスティナビリティ」も解決に導くことが、もしかしたらできるのかもしれない。
行き過ぎの弊害
ITの申し子「GAFA」が巨大化し、世界各国がその力に脅威を感じるようになってきているようだ。本家米国でも、反トラスト法違反で、グーグル、フェイスブックが訴えられている。「違法な反競争的行為」に携わってきたということが理由のようだ。
「グーグルの反競争行為は同社の検索全般における独占状態を保護し、競合を排除し、消費者から競争的選択の利益を奪い、イノベーションを妨げ、新たな参入や拡大の機会を蝕んでいる」とコロラド州のフィル・ワイザー司法長官は語った。
「この裁判の目的は競争を取り戻すことである」。
(出所:TechCrunch)
テクノロジーやプラットフォームビジネスの危うさと限界なのだろうか。
目新しさに便利さを感じてきたが、選択の自由やそこから生まれる利益が阻害されてきたということであろうか。行き過ぎたデジタルやITの弊害もあるということであろうか。
エシカル 倫理という壁
INTERNET watchは、顔認証技術と人工知能AIの倫理面での危うさを指摘する。
「AI」と呼ばれる技術の多くは現実世界のデータを学習して作られたものだ。その現実世界のデータは、現実世界の差別が含まれており、AIにも差別は反映されている。
このバイアスを取り除くことは簡単ではなく、おそらくは技術と倫理の両面で深い洞察が必要となる分野である。 (出所:INTERNET watch)
米国の巨大テクノロジー企業はこの課題を解決しなければ先に進めない状態になっているのだとINTERNET watchは指摘する。
AIは法則性がある論理の手助けにはなるかもしれないが、普遍的な倫理の学習には不向きということなのだろうか。人々が希求する幸福の根っこは同じかもしれないが、それに至る道徳観は人それぞれに異なる。人の数だけ道徳が存在する。もしかしたらそこには最適解などないのかもしれない。
倫理観が醸成されるまでは、こうした分野には何らかの規制があったほうがよいのかもしれない。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
行き過ぎは不足していること同じように善くないという。そう思えば、日本のデジタル化が3周遅れであることを好機とすることができそうな気がする。。ただ単純に「GAFA」に追いつくことだけを追い求めるのでなく、今問題視されていることを解決に導けば、自ずと周回遅れは挽回されいていくのかもしれない。