Into The FUTURE

未来はすべて次なる世代のためにある

研究所復活ブームの予兆 ― そこから30年後の幸福のカタチは生まれるか

1990年代以降、日本企業の多くは効率性を重視し、中央研究所を縮小・廃止して商品化に近い開発に特化する動きを強めていました。そんな中、ようやく研究所を復活させる動きが出てきているようです。

東芝、33年ぶり総合研究所 復活の裏に「実用化なき研究」許さぬ予算改革:日経ビジネス電子版

この失われかけた「長期的な視点」を取り戻そうとする試みは、一見、日本のR&Dの復権への第一歩のように映ります。

しかし、「現代版・研究所」の多くに共通して導入されている、ある明確なキーワードに目が留まります。それが「実用化なき研究を許さないための規律」であり、研究の初期段階から事業部と出口(投資対効果)を擦り合わせるというガバナンスの仕組みです。

ここで一つの問いが生まれます。

「初期段階から出口を明確に規定する」という規律は、果たして、まだ見ぬ未来の需要を掘り起こすための道標になるのでしょうか。あらかじめ予測可能な『正解の枠組み』の中に、研究の可能性を閉じ込めてしまう制約にならないのでしょうか。

かつてルイス・ガースナーが再建したIBMのように、20年後、30年後の世界の未来を考え、デファクトスタンダードを握りに行くような基礎研究は、このような「事前の擦り合わせ」という合理性のシステムから生まれ得るものなのか、私たちは今一度、立ち止まって考える必要があります。

巨象も踊る

巨象も踊る

Amazon

「舗装された17分野」と資金のゆくえ

もう一つの矛盾は、これら刷新された研究所が掲げるテーマの多くが、政府の主導する「17の成長分野」や経済安全保障、カーボンニュートラルといった、あらかじめ用意された国策のロードマップと重なっている点です。

国や社会が「ここに投資すべきだ」と道を舗装し、予算を付ける。企業はその枠組みに適応し、規律を以て研究者をその方向へ向かわせる。この一連の流れは、組織としてのリスクを最小化する極めて模範的な意思決定に見えます。

しかし、ここにもう一つの問いを置いてみましょう。

なぜ、これほど潤沢な内部留保を蓄えている日本企業が少なくないにもかかわらず、その資金は『政府がお墨付きを与えた17分野』の外側へ、自発的に流れていかないのでしょうか。

リスクマネーが真に渇望するのは、誰かが舗装した行き止まりの道路ではなく、まだ誰も足を踏み入れていない荒野を切り開いていく力ではないでしょうか。あらかじめ定義された枠組みの中で、失敗のリスクを互いに相殺し合うような「アリバイとしての規律」が機能すればするほど、真に破壊的なイノベーションを期待する資金が遠ざかっていくのではないでしょうか。

当事者たちの「意志」のあり処

効率の追求によって自前の生産基盤を縮小させてきた日本企業が、いま再び研究機能を呼び戻そうとしています。しかし、それが、誰かの作ったルールや枠組み(プラットフォーム)の上で、ただお行儀よく仕様を最適化するための研究であるならば、私たちはいつまで経っても「主導権を握る側」には回れないのかもしれません。

カネ(資金)がないわけではない。技術がないわけでもない。

では、何が、この国の研究所から「かつてのIBM型のような、世界の形そのものを書き換えるような野心」を躊躇させているのでしょうか。制度の不備でしょうか、それとも、不確実性に自らの審美眼で賭けるという、経営者や組織の「意志」の所在そのものが、長い最適化の歴史の中で見えなくなってしまっているのでしょうか。

過剰な「規律」という安全地帯のなかで、私たちは本当に、次の30年を生き抜くためのイノベーションを創造できるのか。現場の技術者たちがかつて持っていた、お上の採点表をはみ出すような「野生の衝動」を、今のシステムはどこまで許容できるのでしょうか。

「GDP型の脳」からは、500万円の味気ないロボしか生まれない

なぜ、初期段階から事業部と「出口(投資対効果)」を擦り合わせ、政府のロードマップに沿ってお行儀よく最適化された研究所からは、世界標準、デファクトスタンダードが生まれないのでしょうか。

それは、そこで作動する思考回路が、いまだに「GDP(目先の生産性や数字、最大効率)」の古い論理で動いているからではないでしょうか。

効率やタイパを追求する「GDP型の脳」が導き出す答えとは、例えば「1台500万円、普及は30年先」という、生活実感から遠く離れた無機質なヒト型家事ロボットのようなものです。数字の辻褄は合っている。仕様書通りの技術は詰まっている。しかし、そこには人間が本能的にワクワクするような「手触り感」も、生活を共にする「物語」もありません。

ビッグテックが作った「効率」というゲームのルール上で、お上の採点表を気にして縮こまっている脳からは、どれほど予算を投じても、消費者が「そうだよね」と心を寄せるプロダクトのカタチは生まれてこないのです。

次の30年のデファクト ― 「GDW」を定義する基礎研究へ

かつてIBMが計算機の歴史で、あるいは初期のiPhoneがスマートフォンの世界で成し遂げた「世界の形を書き換えるような野心」の本質とは、技術のスペック競争に勝ったことだけではありません。人々のライフスタイルや「幸福の定義」そのものを、自らの美意識で新しく作り上げた点にあります。

だとするならば、これからの基礎研究が目指すべき地平は、数字を積み上げるGDPではなく、人々の豊かさや総充実を実質化する「GDW(国内総充実)」の領域にあるのかもしれません。

だとするならば、これからの基礎研究が目指すべき地平は、数字を積み上げるGDPではなく、人々の豊かさや総充実を実質化する「GDW(国内総充実)」の領域にあるのかもしれません。

それは、ソニーCSLのように「そもそも人間にとっての豊かさとは何か」という根源的な問いから学問の枠組みそのものをハックしていくような概念の創出かもしれません。あるいは、人間の身体性や五感に心地よく馴染むフィジカルAIを真に高度化するために、物質や材料の限界に挑む極限の要素研究かもしれません。

「効率的なタスク処理」ではなく、「人間が本当に幸福を感じる生活のデザインとは何か」。 「完璧なシステムの構築」ではなく、「人間の感情に訴えかける、手触り感のある科学とは何か」。

これらは、事業部との事前の擦り合わせや、政府によって舗装された17分野のロードマップをいくら眺めても、そこには答えは載っていません。なぜなら、まだ世界のどこにもない「新しい幸福の基準」を探す営みだからです。

これからの基礎研究に必要なのは、仕様書の正解をスマートに処理する知能ではなく、人間の「充実」に向けて、自らの審美眼が問われるのです。

世界がどれほどデジタルで効率化されようとも、人間が暮らす日常は、感情を伴うものです。その感情に訴える幸福のデザイン、そしてその探求のプロセスこそが、これからの日本の真の存在意義なのかもしれません。

 

「参考文書」

研究開発税制、「年1兆円」の恩恵に偏り 適用企業1%未満 - 日本経済新聞

政府の科学技術投資、目標60兆円へ「裏技」模索 演出より質を - 日本経済新聞

モノの価値の指標GDPに代わる「豊かさの指標GDW」(佐々木明子) - 日本経済新聞