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ラピダスという「巨大な実験」 — 国家資本主義へ舵を切った日本の肖像

政府が1000億円を出資し、拒否権を持つ「黄金株」を握る。ラピダスの筆頭株主となった国が掲げるのは、「官民一体」という名の強力な国家主導体制です。

ラピダスに2676億円出資 民間は32社、政府が筆頭株主に:時事ドットコム

赤沢経済産業相の「必ず成功させなければならない」という悲壮な決意は、一見頼もしく響きますが、その実態は自由主義経済から離脱し、中国さながらの「国家資本主義」あるいは「計画経済」へと舵を切った宣言のようにも聞こえます。

「中国モデル」への同質化という皮肉

第一生命経済研究所は、国の危機管理投資、成長投資について「モデルは中国なのか?」と投げかけています。

危機管理投資、成長投資への疑問 ~大きな期待感とのズレ~ | 熊野 英生 | 第一生命経済研究所

自由民主主義を標榜する国が、自国の弱点を補うために、かつての社会主義体制が得意とした「挙国一致の産業集積」を採用する。

これは市場による「淘汰と選択」を放棄し、政治が「勝者」を指名するようなものです。財源不足が叫ばれる中で、特定の一社にこれほどの資源を集中させる合理性は、経済学の文脈ではなく、もはや「政治的生存」の文脈でしか説明ができません。

「多品種少量生産」という高すぎるハードル

さらに懸念されるのは、ビジネスモデルの現実味です。報道によれば、ラピダスはスタートアップからの受注を狙う「多品種少量生産」を目指すとされています。 しかし、半導体ファウンドリの本質は、巨額の設備投資を24時間フル稼働させ、圧倒的な歩留まりで「量」を捌くことにあります。多品種少量は、工場の運営難易度を致命的に高めます。 もし、この「国家的な多品種少量」が失敗すれば、それは一社の倒産に留まらず、そこに紐付けられた日本の精密機器サプライチェーン全体に多大な損害(システミック・リスク)を及ぼしかねません。

『ザ・ゴール』と、封印された日本の強み

ここで、製造業のバイブル『ザ・ゴール』を補助線に引きましょう。著者エリヤフ・ゴールドラットは、日本人がこの理論を手にすれば「世界の競争力をさらに高めてしまう」と恐れ、長らく日本での出版を許可しませんでした。

それほどまでに、かつての日本には、知識を貪欲に吸収し、現場の「ボトルネック」を特定して解消し続ける、圧倒的な仕組みの構築力があったのです。

大枚をはたいて高額な設備や最新ソフトを並べても、それだけでモノが流れるわけではありません。装置以上に重要なのは、全体の流れを最適化しようと試み、日々「改善」を積み重ねることでそれを実現する現場の知性こそが、日本の強みであったはずです。

 国家の「黄金株」が最大のボトルネックになるリスク

しかし、最大の懸念は、その現場の「改善の精神」を、国家という枠組みが窒息させてしまうのではないか、という点です。 現場が真に最適化を進めるには、従来のルールを「壊す」勇気が必要です。果たして、政府が「黄金株」を握り、政治的な無謬性(失敗は許されない)を求める体制下で、現場はドラスティックな「仕組みの更新」ができるのでしょうか。

国家のメンツという「政治の論理」が、現場の「生産の論理」と衝突する時、その「黄金株」自体が、ラピダス全体の流れを止める最大のボトルネックになりかねません。

まとめ 失われた「知性の貪欲さ」を取り戻せるか

私たちは今、ラピダスを国家の命運を懸けた「箱」として眺めています。しかし、かつて日本を支えたのは、国家の壮大な計画ではなく、外部の知を血肉に変え、現場で仕組みを磨き続けた「一人ひとりの知性」でした。

問うべきは、出資額の多寡ではありません。私たちは、かつてゴールドラットが恐れたほどの「貪欲な向上心」と「仕組みを自ら更新する力」を、今も持ち合わせているのでしょうか。 この国家プロジェクトが問うているのは、技術の成否だけではありません。それは、私たちが「お上の計画」に従うだけの去勢された存在になるのか、それとも再び自律した「改善の主体」へと戻れるのかという、日本社会全体への重い問いなのです。


(あとがき)

ふと思い返せば、2019年にサムスン電子が「2030年にシステム半導体で世界一になる」と宣言し、年間1兆円規模の投資をぶち上げたことがありました。しかし、今、先行するそのサムスンでさえ、TSMCという「極限の生産管理」を体現する壁を前に、歩留まりの改善や顧客の信頼獲得に喘いでいます。

「装置を並べればモノは流れる」という幻想を捨て、現場が自らボトルネックを壊し続けるダイナミズムを取り戻すこと。先行者が巨額の資金を投じてもなお苦戦するこの領域で、黄金株という鎖に繋がれたまま、私たちはもう一度、世界を驚かせたあの「知性の貪欲さ」を証明できるのでしょうか。


追記 なぜサムスンはTSMCを超えられないのか

サムスン半導体受託生産、TSMCに挑む 先端品を量産 - 日本経済新聞

1. 「投資額」では埋められなかった「信頼」の差

サムスンは宣言通り、年間数兆円規模の巨額投資を継続してきました。しかし、最新のデータ(2025年時点)を見ても、受託生産(ファウンドリ)のシェアはTSMCが60%前後を独占し、サムスンは10%台に低迷しています。

  • 原因: 半導体は「装置を買えば作れる」ものではなかったからです。顧客(AppleやNVIDIAなど)の複雑な要求に対し、歩留まり(良品率)を安定させ、納期を守り抜く**「徹底した生産管理とサービス」**において、専業であるTSMCの壁を崩せませんでした。

2. 「多品種少量」の難しさの体現

サムスンは自社製品(Galaxyなど)向けの大量生産には強いですが、外部顧客からの多種多様なオーダーに応えるファウンドリ事業では、**「オペレーションの複雑化」**に苦しみました。

  • 最新の3ナノメートル工程においても、歩留まりが上がらず、大口顧客がTSMCに流出するという事態が相次ぎました。どれだけ大枚をはたいて最新設備を並べても、現場の「仕組みの習熟」が追いつかなければ、モノはスムーズに流れない。まさに『ザ・ゴール』が説くボトルネックの罠に嵌まった形です。

3. 「国家の威信」が招く焦り

韓国政府もサムスンを強力にバックアップしていますが、その「負けられない」というプレッシャーが、時に現場の冷徹な判断を鈍らせることも指摘されています。

  • ラピダスへの教訓: 「2030年に世界一」という旗印は、政治的には心地よいですが、現場に無理な短納期や歩留まりの過大報告を強いるリスクがあります。サムスンほどの巨人ですら、この「政治と現場の距離」に苦しんでいるのです。

「参考文書」

ラピダスは谷を越えられるか - 日本経済新聞

AI半導体、企業育成へ北海道などに拠点 政府主導で産業集積促す - 日本経済新聞

ラピダスへの民間出資、32社1676億円 赤沢経産相が発表 - 日本経済新聞