Into The FUTURE

未来はすべて次なる世代のためにある

国が描く未来とイノベーションが生まれない国日本

「イチゴから艦艇まで」――。

日経新聞が報じた高政権の新たな成長戦略「17分野」のリストを眺めると、ある種の目眩(めまい)を覚えます。そこにはスマート農業から量子、宇宙、防衛まで、およそ現代の最先端と呼ばれるトピックが隙間なく敷き詰められています。一見、国家の総力を挙げた野心的な挑戦に見えますが、皮肉にもこの政府の成長戦略に対する企業の反応は「ズレ」といるというものでした。

高市成長戦略に企業が感じたズレ イチゴから艦艇まで総花の17分野 - 日本経済新聞

なぜ、国が「これが未来だ」と旗を振れば振るほど、現場の熱気は引いていくのでしょうか。政府が「正解」を定義し、企業がその「お買い物リスト」に自分たちをどう適合させるかを競い合う構図。この「官製イノベーション」の矛盾を企業も感じ始めたということなのでしょうか。

19年前の「未来予想図」という亡霊

この「ズレ」の正体を知るには、時計の針を19年前に戻す必要があります。

高市首相にとって、イノベーション支援は政治家としての原点とも言えるライフワークです。2007年、第1次安倍政権で初代イノベーション担当大臣を務めた彼女は、長期指針「イノベーション25」の序文を自ら執筆しました。そこには、2025年の日本の姿が克明な「未来予想図」として描かれていたのです。

「イノベーション25」中間とりまとめ(イノベーション25戦略会議)

テレワークが普及し、過密な通勤から解放され、高度なセキュリティに守られた安全で便利な社会……。

確かに、そこで予見された技術の多くは現実のものとなりました。しかし、それは政府が描いたロードマップ(設計図)に沿って実現したものでしょうか。例えばテレワークの普及は、官邸の推進ではなく、皮肉にもパンデミックという予測不能な外的要因による強制的な変化でした。私たちが今手にしているiPhoneも、生活を一変させた生成AIも、19年前に日本の官邸が「重点分野」としてリストアップした枠組みの外側から、海の向こうの「独学者」たちの手によって勝手に生み出されたものです。

「国が未来をデザインし、そこへの線路を敷く」という19年前の手法。当時の予測が必ずしもイノベーションにつながらなかっていないという事実は、今提示されている「成長戦略」にも共通するのかもしれません。

成長という滑稽な学校

なぜ、政府が描く「未来予想図」はイノベーションに結びつかないのか。そのヒントは、「イノベーションは、「学校」で習うものでない」と断じる山口周氏の指摘にありそうです。

「お金を払って学ぶ」より「お金をもらって学ぶ」|山口周

「イノベーションの起こし方」を教える学校に通う時点で、その人はすでにイノベーションに向いていない。なぜなら、イノベーションの源泉は、誰かに教わる「正解」ではなく、その人自身の内側から湧き上がる、他者には理解しがたい「独善性(アート)」にこそあるからだというのです。

政府が「17分野」を提示し、そこに予算を付ける。国が巨大な「イノベーション学校」を開校し、そのカリキュラムに従う「優等生」を募集しているようなものです。しかし、国が提示する「正解」に自分たちを適合させ、補助金をどう引き出すかという「ハック」に知性を使う組織から、既存の秩序を破壊するような新しい価値は生まれるはずもありません。

真にイノベーションを起こす人、山口氏が言う「サッサとやる」独学者たちは、政府のロードマップなど読まないのかもしれません。彼らは自分の「独善的な衝動」に従い、予測不可能な場所で勝手に未来を創り始めます。国が未来をデザインしようと熱を上げれば上げるほど、皮肉にも、その管理された枠組みから逃げ出していくのでしょう。

危機管理という名の「管理の罠」

日経新聞は、高市首相の戦略の底流に「危機管理」と「成長」の両立という課題があると報じています。国を守り、国民の安全を確保するために経済成長が必要だという、極めて政治家として真っ当な責任感です。

高市首相の起点は19年前の思い 「危機管理」と成長、両立には課題 - 日本経済新聞

しかし、この「危機管理」という出発点こそが、イノベーションにとっては最大のブレーキになるという矛盾を抱えています。

危機管理とは、本質的に「予測可能なリスク」を最小化し、逸脱を許さない「管理」の思想です。一方で、イノベーションとは「予測不可能な飛躍」であり、既存の秩序を壊す「逸脱」そのものです。

「国を守る」という大義名分の下、17もの重点分野を指定し、そこへの投資を管理する。その強すぎる目的意識は、自由な試行錯誤や「意味のない遊び」を許容する余裕を奪います。失敗が許されず、常に「国家にとっての正解」を求められる環境下では、山口周氏の説く「独善性」はノイズとして排除されてしまうのではないでしょうか。

この緻密な計画の裏にあるのは、知性ですべてを制御できるという能力主義への過信があるのかもしれません。

まとめ

19年前に始まった「未来をデザインできる」という全能感、そして「危機管理」という名の管理の罠。これらを手放せないままでは、日本はいつまでも「イノベーション学校」の優等生を育てることに終始し、世界を変える「独学者」を失い続けることになりかねません。

政府に求められているのは、未来を描く「校長先生」としての振る舞いではなく、誰もが始められて、たとえ失敗しても、何度でも「サッサとやり直せる」強固な土壌を整えることではないでしょうか。

19年間のボタンの掛け違いを直視し、この「設計主義」という名の過保護なサポートから自立すること。それこそが、イノベーションが生まれない国・日本に残された、最後のリハビリテーションになるのかもしれません。

追記

高市首相はたいへん優秀なのかもしれません。非常に対称性を重んじ、論理的に隙のない構成を好む「極めて優秀な実務家」としての顔を持っていそうです。しかし、「アート(直感・美意識)」の世界では、その「隙のなさ」こそが毒になります。

 「優秀な官僚と優秀な政治家が考えれば、17の正解を導き出せる」という自信。能力主義の罠といってもいいのかもしれません。「ネガティブ・ケイパビリティ(不確実さや疑いの中に留まり続ける能力)」、つまり分からないことを、分からないままにしておく力が、欠如してそうです。

「正解」を急ぐあまり、イノベーションの本質である「混沌」や「無駄」を排除してしまう。その潔癖すぎる合理性こそが、皮肉にも日本から野生の創造性を奪っている正体なのかもしれません。

 

 

「参考文書」 

独善性が武器になる時代に。クリエイティブ・ガバナンスを問う|GreatRIVER