ホンダの三部新社長が4月、「エンジンとの決別」を意味する目標を発表しました。耳を疑いましたが、あまり深く考えずに、聞き流していました。
ホンダの株主総会が23日に開催され、EV電気自動車とFCV燃料電池車に注力する姿勢を改めて示したそうです。
レスポンスによると、株主からは「創業者の本田宗一郎氏が悲しむのではないか」との質問が出たそうです。これに対し、三部社長は「50年にカーボンニュートラルを達成するのが目標。EVと燃料電池車(FCV)を本命にしつつ、水素を使った合成燃料の研究も進める」などと答えたそうです。
また、株主からエンジン開発の継続の可能性について問われると、三部社長は否定しなかったものの、「本命」はEVとFCVだと強調したそうです。祖業のエンジン中心からの転換となるのでしょうか。
「世界最大のエンジンメーカーであるホンダは、EV電気自動車など温室効果ガスを排出しないゼロエミッション車への完全移行に向けた取り組みを加速させている」とブルームバーグはいいます。
エンジンメーカーで頂点
ホンダは創業者の本田宗一郎氏により戦後設立され、日本の自動車メーカーの中では歴史が浅い。創業間もない時期の世界最高峰のバイクレース、マン島TTでの活躍や米国の厳しい排ガス規制をクリアしたCVCCエンジンの開発など、自ら設定した高いハードルを乗り越えることで現在の地位を築いてきた。1980-90年代にはF1レースで勝利を重ね、エンジンメーカーとして頂点を極めた。今では船舶や発電機、芝刈り機用なども含め年間約3000万台のエンジンを生産しており、EV化の影響を大きく受けることが見込まれている。 (出所:ブルームバーグ)
内燃機関でカーボンニュートラルを実現できないのかとの株主からの質問に対し、eフューエルなどの代替燃料は現状ではコストが高いと、三部社長が指摘したといいます。
技術畑一筋であった三部社長の英断なのでしょうか。解決しなければならない課題を合理的に解決していこうとの姿勢なのでしょうか。兎角、エンジニアは合理性を追求するものです。エンジン内燃機関にこだわっていては、問題解決できないと考えても不思議はありません。
故本田宗一郎さんが本田技術研究所を開設したのが1946年のことだったといいます。それが今日の本田技研工業の始まりといわれます。それから25年後、当時、期限内に達成が困難といわれた米国の環境規制法マスキー法をクリアしたエンジン「CVCC」を開発したのがまだその時は中小メーカーだったホンダでした。その技術は、トヨタ、フォードなどにも技術供与され、「Honda」の名前を世界に知らしめたといわれます
CVCCが開発されてから半世紀近い年月が経ち、また当時と同じような難局にあるのかもしれません。
エンジンはクルマの動力で一要素技術に過ぎない。それは今までのホンダのコアコンピタンスであったが、これからのコアではないということなのかもしれません。何もクルマの動力は内燃機関でなくても、ゼロエミッションを為し得るなら代用技術を使うと考えるのは極めてリーズナブルで、それをこれからのコアとして成長させていくとするのもホンダらしさのかもしれません。
「今後も本質と独創性にこだわり続ける会社として、環境負荷ゼロと事故のない社会に向けて先行技術開発に取り組んでいく」と三部社長が今回の株主総会でそう述べられたことがそれを表しているような気がします。
そして、宗一郎さんが亡くなられたのがその20年前のの1991年ことでした。そろそろコアコンピタンスの見直し時なのかもしれません。ホンダの歴代社長はみな技術畑の出身者が務めてきたといいます。三部さんがその英断を下したということなのでしょう。
そのホンダが海外清掃をはじめて今年で15年経つそうです。
ここにも独自技術を搭載した機材を使っているそうです。そして、この活動を通して素足で歩ける砂浜を次世代へ渡していくことを目指しているそうです。
環境問題、ホンダにとって、「カーボンニュートラル」は絶対に避けて通れない道であるということなのでしょう。
「参考文献」