ベイン・キャピタル、ここ最近またその名を聞くようになった。日立金属に対してTOB公開買い付けを実施し、成長が期待されるEV市場を中心に更に競争力を高め、グローバルで Only 1を実現するための経営サポートを行っていくという。
その1週間ほど前には、東芝の非公開化を目的にした買収案を検討していると、ロイターが報じた。
ベイン・キャピタル、米国マサチューセッツ州ボストンに本社を置く、世界的なプライベート・エクイティ(未公開株)・ファンドだという。
そのベインが、日本に特化した1100億円のファンドを設立したという。ブルームバーグによれば、ファンドは4月初めに設立され、中堅・中小企業への投資に特化するそうだ。
「新型コロナウイルスの影響による不確実性は拭えないものの、日本が投資先として並外れて魅力的だという考えに変わりはない」
と、ベインの日本担当マネージング・ディレクターのデイビッド・グロスロー氏がブルームバーグの取材でそう話したという。
「意外」と言っていいのか、それとも「そうだよね」と言ったらいいのか。
国内ニュースを見ていれば、そんなに魅力的にみえるとは考えにくくなるが、悪過ぎるから、成長余地、その伸びしろが大きいと読むのだろうか。
一方、世界的な経営コンサルタント マッキンゼー アンド カンパニーは「2030年に向けた日本のデジタル改革」を提言する。
「日本はデジタル面の競争力が比較的低く、意外なことに日本経済の強さとは対照的である」と指摘する。
2020年時点ではデジタルの競争力が世界27位、デジタル人材の充実度が同22位となっており、電子商取引、モバイルバンキング、デジタル行政サービスといった分野の普及率は一桁台に留まっている(図表1)。
世界に500社以上存在するユニコーン企業 (設立10年以内で企業価値10億ドル以上の企業) のうち、日本企業はわずか5社に過ぎず、日本の総体的な国力からするとあまりに少ない。 (出所:マッキンゼー アンド カンパニー)
数字を並べて説明されれば、納得するしかない。はっきり言ってくれれば、「最悪」ということであろうか。
デジタル行政アプリの使用率が7.5%で、首位のエストニアは99%という。IMDのスマートシティランキングでは、1位がシンガポールで、東京は79位に沈む。
過去の政府成長戦略がSociety5.0と叫んだいたことも理には適っていたのかもしれないが、それにしてはお粗末な結果なのだろう。
マッキンゼーはこんな分析をする。
デジタル化の道の行く手にはこの国が自ら作り出した制約が複数立ちはだかっている。
リスクを避けようとする先例重視の文化、短期的な生産性改善よりも長期的な継続を重視する経営陣、一部業界における国際競争の欠如、政府の支援待ちでデジタル化を進めない民間企業と、民間企業の施策推進を待ち続ける政府との間に生まれる行き詰まり状態、
そして何より、国家政策を推進するソフトウエアアプリケーションの開発に不可欠なソフトウエア関連エンジニアの圧倒的不足といった課題である。 (出所:マッキンゼー アンド カンパニー)
何年も続けた成長戦略であっても一向に改善されなかったのだから、あながち間違った分析ではないのだろう。
国の成長戦略が変わった。カーボンニュートラルが目標となり、より「グリーン」が重視されるようになった。かといって、デジタルが等閑になったわけではないのだろう。
「グリーン」、気候変動の方が企業ももっと「自分事」と考えられるようになるのかもしれない。自然災害で工場が被災するケースが増えるようになれば、否応なしに意識せざるを得ない。まして、ESG投資の圧力もある。
それに乗じてということではなかろうが、日立が、企業の脱炭素経営を支援する環境情報管理「EcoAssist-Enterprise」の「CO2算定支援サービス」を提供開始したという。
日立製作所によれば、ESG投資の指標として活用されるCDP回答やSBT認証取得など、非財務情報の開示を支援するシステムで、コンサルティングと一体となった温室効果ガス排出量の算定支援サービスを通じて効率化を実現するという。
デジタル化、DXデジタルトランスフォーメーションにどのように取り組んでいいのかわからないとよく耳にする。
これを機に、「脱炭素」を切り口にして取り組むのいいのかもしれない。
目的意識を忘れずに、使えるクラウドツールなどを駆使して嫌になるくらい現状分析をすれば、課題も見え、戦略がおぼろげに形をみせ始めるかもしれない。目標を明確に設定し取り組み始めれば、それがDXデジタルトランスフォーメーションの始まりになりそうだ。
目の前のハードルを高くしてしまえば、最初から気は萎えるものだ。まずは「脱炭素」を目標にデジタルツールを使って現状分析から始めてもよさそうだ。哲学の世界でも「汝自身を知れ」という。自分自身が分かれば、こうあるべきという未来を見定めるバックキャストの視点も取り入れることができるかもしれない。
自分自身を知るということは最悪の自分に出会うことなのかもしれない。しかし、それが最悪であれば、もう悪化する余地はなく、成長する余地しか残されていないはずだ。