Into The FUTURE

未来はすべて次なる世代のためにある

テクノロジー 技術の限界を知った日

 

 あれから10年、東日本大震災から10年が経った。

 コロナ渦だからだろうか、今年の3月11日はこれまでになく色々な考えた。10年ということもあってことなのだろうか様々な報道があった。そのことも影響しているのかもしれない。

 原発事故の影響が長引いている。未だに故郷に帰ることができない人たちがいる。あの事故さえなければ、こうした事態は起こることはなかった。

 「そこまで想定できなかった」という原発関係者の声を聞いたような気がする。技術に関わる者として、言ってはならないことではないのだろうか。xtech.nikkei.com

 それまでは科学技術に限界はないと信じていた。しかし、今ある現実を見れば、それは間違いだった。科学技術の運用には必ず人が介在し、そのエラーを十分に考慮しなければならない。そのことを思い知らされた。

 

 

 福島県飯舘村、人口6000人のその小さな村は、 福島第一原発事故で、全村避難となった。事故当時、村長だった菅野典雄氏にハフポストがインタビューする。

独自の立場を続けた背景には、放射性物質に対するリスク判断を、専門家の助言も得て村独自で決断してきたこと。そして、国に対しても原発事故の加害者・被害者という関係性を持ち出さず村民にとって一番良い解を求め「実を取る」という方針を固めていたことがあったという。 (出所:ハフポスト) 

m.huffingtonpost.jp

その飯館村は、一つの地区を残して避難指示が解除されたという。 

基本的には、いかに村民のために実をとるか、ということ。

正論を言う被害者だけの視点にならない。国といい提案を出し合っていくしかないんです。「妥協案」というと聞こえが悪いですが、折り合いをつけるということで前に進むというのが、やっぱり私の原点ですよ。

「損をして得をとれ」という言葉がいいかどうかはわからないけれど、やっぱり村民のためにいかに多くの実をとるか。政治家としては、それがすべてだということです。

なんぼ理想を高く掲げて、国に正論をぶつけていたって、事業が前に進まなければ何にもならない。 (出所:ハフポスト) 

 菅野元村長は、国が示した放射線量より高い数値で「2年で帰宅する」ことを目標にしたという。結果、今の村の人口は、1500人になったという。

 何が正しいのか、それはわからない。

 歴史に「if」はないという。ただ、事故さえなければ、飯館村は昔と変わらない暮らしが続いていたのかもしれない。

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 当時、国の基準を設定した細野元環境相は「年間1ミリシーベルト(国が設定した除染の基準)という基準自体が極めてあいまいな根拠に基づいたものだった」、「帰還の遅れを招いた面があった」と、設定した除染の基準が復興の遅れにつながったと、反省の弁を述べたとハフポストは伝える。

その時にきちんとした勉強をして、信念をもってやれるかやれないかだろうと思います。

後からではなく、緊急時のその時に、リーダーシップの考え方が問われる時代に入っているんだろうという気がします。 (出所:ハフポスト) 

 原発事故は想像を絶するものだ。起こるはずないことが起きることを想定しなければならないのかもしれない。どんな事故になるのかを想定しなければならないのだろう。

 

 

 「原発事故が起きたというのは、「イケイケどんどん」で、日本がまだまだ成長するということを目指した結果です」と菅野元村長はいう。

コンビニも24時間営業で、便利ですよね。でも、それには全部電気が必要になってくるわけです。

もっと便利になりたい、もっと豊かになりたいと、どんどん近代化をして街を明るくしていったら、綺麗な星が見えなくなった。地球は温暖化した。

それが次世代に残すべき姿でしょうか?

だから「までいライフ(=スローライフ)」なんです。原発事故で、本当は日本が一番学ばなきゃならなかったはずのことです。 (出所:ハフポスト) 

 

 「これなら大丈夫」、そんなエンジニアの驕りや油断はなかったのだろうか。

 テクノロジー、科学技術が進歩し、便利になり、豊かになったのかもしれないが、何か急ぎ過ぎているような気もする。「までいライフ(=スローライフ)」と話す元村長の言葉に説得力があると感じている。