Into The FUTURE

未来はすべて次なる世代のためにある

元ZOZO前澤さんのnoteがおもしろい

 

  元ZOZO CEOだった前澤さんのnote「僕が考える世界を平和にする方法」がおもしろい。 

note.com

 

 題名からすれば、世界平和でテーマのnoteかと思いきや、前澤さんがこれからやりたいことを宣言したnoteのよう。たくさんの前澤さんのメッセージが含まれる。

 

お金がない世界では、自分の好きなことや得意なことを仕事とし、人を喜ばせ感動させる人に感謝が集まります。また、本来仕事とはそうあるべきものだったことに多くの人が気づくはずです。

 

 「お金がない世界」という仮定の世界での話のように書かれているが、経験から得たものを書きあらわしているように思う。前澤さんは、本来、仕事とは、「自分の好きなことや得意なことを仕事とし、人を喜ばせ感動させる」と言う。たしかに、ZOZOのビジネスはそうであるように思えるし、ZOZOスーツなんて、その最たる例なのかもしれない。

 

前澤さんは続けます。

モノを生産する人が今までどおり生産活動を続け、流通やサービスを提供する人が同じく今までどおりその活動を続ける限り、世の中から人々の生活に必要なものが消えてしまうことはありません。

 お金を多く払う人が優良顧客で神様のように偉かった世界から、モノやサービスを生産する人に注目が集まり感謝される世界へ変わっていきます。

 

 本来、もっと評価されるべきは、モノやサービスの作り手であって、消費行為ではない。消費は、お金を媒体にして、モノを感動に変えることであって、重要なのはお金でなく、モノとその担い手にあるといっているようで、ZOZOのサイトのことのように思える。 

 

とても美味しい農作物を作ってくれてありがとう。
素敵なデザインの洋服を作ってくれてありがとう。
道を舗装してくれて、トイレを掃除してくれて、物を運んでくれて、ありがとう。

人がお金の存在によって忘れかけていた、人に対する愛や感謝や敬意の気持ちを取り戻します。

 

  このことは「働く」といことにも大きくかかわることではなかろうか。お金のためにではなく、モノをお使いいただくお客様から感謝を頂くために働く、そして、その結果、今日では、その対価としてお金があるといわれているように思う。

 

 

 

 前澤さんが言われることを実際にやっている会社が、ZOZO以外にもあるんです!

 東日本大震災の被災大船渡にある「Ibasho」。被災地復興、高齢者支援と見られそうな活動だが、それだけにはとどまらないようにみえる。

 ここに来る人たちには、一方的にお世話されるのではなく、自分にできる役割を担い、一緒にこの場所をつくっていくんだという「当事者意識」がある。大工仕事から畑の農作業、パソコン操作、食堂での調理、配膳や皿洗い、会計、ゴミの片付け、クルミの殻割りまで、できることをできる人がやる。だからこそ彼らにとっての「居場所」になるのだ (出所:Forbes)

forbesjapan.com

 発端はアメリカ在住の日本人女性・清田英巳さんが始められた“Ibasho”という非営利のプロジェクトだ。高齢者が「お世話される弱い立場」という認識を変え、何歳になっても自分にできる役割を担いながら、自分たちの知恵と経験を活かし、支えあえる身近な場所を地域の人たちの手でつくっていこうという取り組みだ。(出所:Forbes)

 

ibasho-japan.org

 

 こうした取り組みをビジネスの場にも置き換えることはできないのだろう。

 こうしたことが普通に一般企業でも応用されれば、働き方改革になるのではと思ったりする。兎角、制度やルールの見直しで働き方改革は語られがちだ。目的が不明確であったりすれば、その制度がうまく利用されず、改革は進まないし、形骸化する。いかに参加型に転換していくかが求められる中では、Ibasho-Japanの取り組みは参考になりそうな気がする。

 

 

 2000年にシンガポールに海外赴任することになった。出向先は東南アジアの本社機能になる統括会社。東南アジアにあるいくつかの現地法人ファイナンスや広報、総務人事を統括するのが主な業務。このシンガポールの統括会社は、小規模事業の営業やサービス部隊の拠点としても活用されていた。その他に、海外進出を支援する機能として国際購買があった。この国際購買が着任先だった。出身母体の事業サポートがメインの仕事ではあったが、その他に、アジアに点在する工場の購買などと連携した共同・集中購買にも参加するようになった。

 東南アジアの本社機能とは言え、この会社のトップは日本の経営陣が着任することなく、どちらかといえば名誉職で、本社の退任間近な管理職が担っていた。そういうこともあって、ファイナンスや購買などは、それぞれが持つミッションをもとに独自に動く色彩が強かった。

 何かIbashoとの共通性を感じた。統括会社が提供していたのは、「場」と、そこで営業活動するための最小限の機能だった。

 

 その場に集まるのは、Ibashoのように個人であったり、チームであったりする。各々が自分ができる役割を果たしながら、調和することで、「場」も盛り上がり、個々も輝く。

 企業は、ひとつの小さな事業として始まり、成長とともに機能が分業化、専門化し、さらに大きな成長を促す。しかし、往々にして、そこに縦割りの弊害が生まれ、協調性が失われ、変な競争意識が芽生える。それが今の働きにくさにつながってはいないだろうか。

 Ibashoのように、企業は「場」、そこに集う個人が主役となり、自分のできることをやり、全体と調和すれば、働きやすい職場になるということなのだろう。企業とは本来そうあるべきということでもあると思う。 

 

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